京都木屋町のメイドカフェCANDY

萌えきゅん一口メモ

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1~5件目 (27件中)

  • 日本最初の喫茶店「可否茶館」

    投稿日 :
    2018-11-15 16:20:45
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    学校や仕事で疲れた時や、ちょっとリフレッシュしたいなという時などに、かわいいメイドさんたちに癒されにきませんか。 京都木屋町のメイドカフェで、メイドさんとの非日常の時間をお楽しみください♪   日本で初めてのカフェは、1888年(明治21年)の4月13日、東京・上野に開業した「可否茶館(かひさかん)」と言われています。   創業者の鄭永慶(てい・えいけい)は、当時一部

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    学校や仕事で疲れた時や、ちょっとリフレッシュしたいなという時などに、かわいいメイドさんたちに癒されにきませんか。

    京都木屋町のメイドカフェで、メイドさんとの非日常の時間をお楽しみください♪

     

    日本で初めてのカフェは、1888年(明治21年)の4月13日、東京・上野に開業した「可否茶館(かひさかん)」と言われています。

     

    創業者の鄭永慶(てい・えいけい)は、当時一部の上流階級しか立ち入ることのできなかった「鹿鳴館」に対抗して、一般庶民の知的なサロンを提供したいなどの理由でカフェの経営を始めました。

     

    西洋建築の可否茶館は、1階がビリヤード、そして2階が喫茶室という造りでした。

     

    現在イメージされるような喫茶店とは異なり、どちらかというと「異文化サロン」と呼ぶようなもので、コーヒーだけではなく文化交流や知識と体験を得るための施設でした。

     

    国内外の書籍や新聞、また筆や便箋、封筒を常備して、図書館を目指して各種の書籍、書画を閲覧できるようになっていたそうです。

    ビリヤード台やトランプ、クリケット、碁、将棋といった遊具なども設置され、他にも更衣室、化粧室、シャワーまで完備していたそうです。

    今でいうインターネットカフェにも近い部分がありますね。

     

    珈琲1杯の値段は、1銭5厘、ミルク入り珈琲が2銭で、当時の物価で、もりそばが8厘~1銭だったので、かなり高級だったようです。

     

    一般的にはまだ海外の文化やコーヒーの味が受け入れられていなかったこともあり、経営が振るわず、鄭永慶は投資にも失敗して大きな借金を抱えることになり、「可否茶館」は4年後に閉店してしまいました。

     

    現在、上野の可否茶館の建物は残念ながら残っていません。

     

    その跡地のビルの角に、2008年4月13日、「日本最初の喫茶店発祥の地」の碑と、その隣にレンガ積みの柱の上にコーヒーカップを載せた不思議な形のモニュメントが建てられました。

     

    しかしその後、2016年にビルが建て変わり、さらに新しいモニュメントが装いも新たに建て直されました。

     

    新しいモニュメントは、ステンレスとガラス様の素材製となり、コーヒーカップから湯気が立ち上がる雰囲気を表現したような造りになっています。

    また、背面にはかつてのコーヒーカップを戴冠した四角柱だった碑の写真と、協賛者の名前が記されています。

     

    京都には落ち着いた雰囲気の純喫茶もたくさんありますし、萌えの世界を体験できるポップなメイドカフェもあります。

    お出かけの途中のちょっとした休憩にも、暑い夏は涼みに、寒い冬はほっこり温まりにきてください。

    かわいいメイドさんたちに癒されること間違いなしです。

    ご主人様、お嬢様のお帰りをお待ちしております!

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  • メイドと女中・家政婦・お手伝いさんの違い

    投稿日 :
    2018-10-15 16:19:38
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    スタッフ

    京都木屋町三条のメイドカフェで、メイドさんとの癒しの時間を過ごしてみませんか。  普段の生活では味わえない非日常の萌えの世界をぜひ京都でお楽しみください♪     日本でメイドさんという存在は、漫画や秋葉原を中心としたメイドカフェまで、様々な分野に浸透しています。 そんなふうにもうすっかり世間に定着したメイドさんですが、日本の歴史で、メイド服を着た家

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    京都木屋町三条のメイドカフェで、メイドさんとの癒しの時間を過ごしてみませんか。 

    普段の生活では味わえない非日常の萌えの世界をぜひ京都でお楽しみください♪  

     

    日本でメイドさんという存在は、漫画や秋葉原を中心としたメイドカフェまで、様々な分野に浸透しています。

    そんなふうにもうすっかり世間に定着したメイドさんですが、日本の歴史で、メイド服を着た家事使用人としてのメイドが幅広く雇用されたことはほぼありません。

    明治大正から近代日本で雇用されたのは女中やお手伝いさん、家政婦などでした。

     

    本来のメイドは、個人宅に主に住み込みで清掃、洗濯、炊事などの家庭内労働を行う女性の使用人のことです。

    昔のイギリスでは、結婚前の未婚女性がよその家に住み込みで家事の手伝いをしに行く風習がよくあって、彼女たちをメイドと呼んでいたそうです。

    乙女・未婚の女性、というのがそもそもの語源でしたが、現在では未婚でも既婚でも関係なくメイドと呼ばれています。

     

    女中とは、近世の日本で宮中、武家屋敷や商家に住み込みで家事の手伝いや客への給仕、雑用などをする女性のことをこう呼んでいました。

    明治時代以降、中流家庭が増加したことにより女中の雇用が広がって、昭和の中ごろまで用いられた言葉ですが、現在では使われていません。

    代わってお手伝いさんや家政婦と呼ばれるようになっていきました。

     

    家政婦とは、主に個人の家庭に雇われて家事の手伝い、代行や補助を行う職業の女性のことです。

    仕事内容は掃除、洗濯、炊事、食材の買い出しなどです。

    一部の裕福な家庭しか利用できないものというイメージが強いと思います。

     

    お手伝いさんは、家事の手助けなど、家庭内の家事をするために雇われた女性のことです。

    高度成長期までは、学校を卒業と同時に地方出身の女性が花嫁修業を兼ねて都会に住み込みで就職する風潮があり、これをお手伝いさんと呼んでいました。

     

    ちなみにハウスキーパーは、日本では家庭内の家事全般をする職業として家政婦と同じ意味ですが、昔の使用人のいる時代のイギリスでの本来のハウスキーパーはメイドたちを統括する一種の管理職の役割をしていました。

    今の日本語で言う家政婦のイメージとは違いますね。

     

    メイドは女中、家政婦、ハウスキーパー、と同義語とされることもあり、仕事内容は雇い主に代わって家事を行う点においては、特に違いはないように見えます。

    女中という言葉に代わって現在はお手伝いさんという言葉が使われるようになりましたし、家政婦もお手伝いさんと呼ばれる場合もあります。

    歴史的な背景によって言い表す言葉が違ったり、雇用のされ方によって区別して使われることが多いようです。

    生まれたルーツは違いますが、今ではどれも同じ家事手伝いの仕事をする人と言っていいと思います。

     

    京都には歴史の深い神社仏閣もありますし、桜や紅葉など自然の風景も楽しめる見所がたくさんあるので、休日には京都観光も兼ねてメイドカフェへリフレッシュに、というのもおすすめです。

    メイドさんたちがご主人様、お嬢様のお帰りをお待ちしております!

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  • オムライス発祥のお店

    投稿日 :
    2018-09-18 16:09:07
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    スタッフ

    京都木屋町のメイドカフェでメイドさんとの楽しい時間を過ごしてみませんか。  かわいいメイドさんたちと、京都で非日常の萌えの空間をお楽しみください。   メイドカフェの定番メニューといえばオムライスですね。 メイドさんがオムライスにお絵かきしてくれて、「美味しくな~れ」と呪文をかけてくれます。   オムライスとは「オムレツとライス」の意味で、日本の西洋料理の

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    京都木屋町のメイドカフェでメイドさんとの楽しい時間を過ごしてみませんか。 

    かわいいメイドさんたちと、京都で非日常の萌えの空間をお楽しみください。

     

    メイドカフェの定番メニューといえばオムライスですね。

    メイドさんがオムライスにお絵かきしてくれて、「美味しくな~れ」と呪文をかけてくれます。

     

    オムライスとは「オムレツとライス」の意味で、日本の西洋料理のひとつです。 

    オムライス、カレーライス、ハヤシライスは、日本が生んだ「洋食屋の三大ライス」といわれています。

     

    そんなオムライスの歴史は意外と古いのです。

    諸説ありますが、オムライスの発祥の地といわれているお店は、二つあります。

     

    まずは、様々な洋食メニューの発祥の店としても有名な、東京銀座の「煉瓦亭」です。

    煉瓦亭は1895年(明治28年)創業の老舗です。

    このお店でオムライスは明治の終わりごろに誕生しました。

     

    1900年(明治33年)頃、従業員の賄い料理として手早く食べられるものとして、卵、たまねぎ、ミンチ、ご飯を混ぜて焼いた料理を作るようになりました。

    そのうち、この賄い料理を目にしたお客さんが食べたいと言いだして、「ライスオムレツ」という名前でメニューに載るようになったそうです。

     

    このオムライスは現代のメイドカフェのオムライスに代表されるようなイメージのものとは少し違い、味付けはケチャップではなく塩コショウで、さらに薄焼き卵でくるまれていないものでした。

     

    それもそのはずで、煉瓦亭の元祖オムライスができたのが1900年(明治33年)のこと、そしてカゴメがケチャップの販売を開始し、ケチャップが国内に出回るようになったのは1908年(明治41年)のことなのです。

     

    さてもう一方、発祥の地といわれているのは大阪の汐見橋(現在の大阪市浪速区)の「北極星」です。

    北極星でオムライスは大正時代に誕生しました。

    北極星は、1922年(大正11年)に「パン屋の食堂」として創業した洋食屋で、のちに「北極星」と名前を変えています。

     

    1925年(大正14年)、当時のパン屋の食堂には、胃腸が弱い常連のお客さんがいました。

    柔らかいものしか食べられないので、いつもオムレツとライスを頼んでいました。

     

    そこである日お店の店長は、いつも同じものではかわいそうだからと、マッシュルームとたまねぎを炒めて、トマトケチャップライスにしたものを薄焼き卵でくるんで出したところ、そのお客さんに料理を大変気に入ってもらい、料理名を聞かれて、とっさに「オムレツとライスで、オムライス」と、答えたことが「オムライス」の発祥とされています。

     

    北極星のオムライスは、ケチャップライスを卵で包んだものなので、現在のオムライスに近い形をしていました。

     

    この後、1926年(大正15年)から1928年(昭和3年)発行の料理本にオムライスが登場するようになり、世の中に出回り始めて行きます。

     

    京都には歴史の深い神社仏閣もありますし、桜や紅葉など自然の風景も楽しめる見所がたくさんあるので、休日には京都観光も兼ねてメイドカフェへリフレッシュに、というのもおすすめです。 

    メイドさんたちがご主人様、お嬢様のお帰りをお待ちしております!

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  • アフタヌーンティーの起源

    投稿日 :
    2018-08-14 15:43:22
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    スタッフ

    京都木屋町のメイドカフェでメイドさんとの楽しい時間を過ごしてみませんか。 かわいいメイドさんたちと、京都で非日常の萌えの空間をお楽しみください。   黒いワンピースに白いエプロンのメイドさんという、一般的なメイドカフェの舞台となっているのはイギリスです。 イギリスは紅茶の国としても有名ですよね。 その中でも特に優雅で女性の憧れでもあるのがアフタヌーンティーです。  

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    京都木屋町のメイドカフェでメイドさんとの楽しい時間を過ごしてみませんか。

    かわいいメイドさんたちと、京都で非日常の萌えの空間をお楽しみください。

     

    黒いワンピースに白いエプロンのメイドさんという、一般的なメイドカフェの舞台となっているのはイギリスです。

    イギリスは紅茶の国としても有名ですよね。

    その中でも特に優雅で女性の憧れでもあるのがアフタヌーンティーです。

     

    アフタヌーンティーは19世紀のイギリスのヴィクトリア朝時代に始まった習慣だといわれています。

    文字通り、「午後のお茶」のことで、午後に紅茶と一緒に、軽食やお菓子が出されました。

     

    当時の上流階級は1日2食が基本で、昼食は軽くすませて、夕食は遅く、20時から21時くらいの時間でした。

    昼食から夕食までの時間が長く空くので、アフタヌーンティーはだいたい15時から18時ごろにとる、空腹を満たすためのものでした。

     

    ただ、単なるティータイムや食事という意味合いではなく、社交の場として開催されるお茶会でした。

    また、礼儀作法を学ぶ役割もありました。

     

    元々アフタヌーンティーは、コース料理のように一皿ずつ運ばれてきていました。

    それを簡略化して生まれたのが、あの3段のスタンドなのです。

     

    サンドイッチ、スコーンなどの焼き菓子、ペストリーといわれるケーキ類の主に3種類が出されます。

    手でつまんで食べられるように、どれも小さめに作られています。

    一番下の段にサンドイッチ、真ん中にスコーン、一番上にケーキの順に配置されます。

    基本は、下から順に食べるのが正式な作法といわれます。

     

    サンドイッチはきゅうりだけを挟んだものが定番でした。

    当時イギリスは冷涼な気候で、きゅうりを栽培するのには温室やその土地が必要でした。

    そのためきゅうりは高級品で、裕福であることの証でもありました。

     

    一番大事なのはスコーンといわれていて、アフタヌーンティーの評価が決まる重要な要素の一つです。

    焼き立てのスコーンを横に二つに割って、クロテッドクリームやジャムを塗って食べます。

    クロテッドクリームは生クリームとバターの中間のようなもので、温かいスコーンにたっぷりと塗ると

    相性抜群です。

     

    アフタヌーンティーの正式な順番で最後を飾るペストリーには、フルーツのタルトやパウンドケーキなどが数種類出されることが多く、上品な優しい甘さが好まれているようです。

     

    紅茶はそれぞれの食べ物に合うように選びます。

    紅茶以外にも、コーヒー、赤ワインやシャンパンが出されることもあります。

     

    京都は、四季の風景や歴史ある建物が多く、風情を感じさせる街です。

    たまには、「はんなり」とメイドカフェでお茶会を楽しむのもおすすめです。

    お友達とパーティーや女子会というのもいいですね。

    メイドさんに癒されること間違いなしです♪

    ご主人様、お嬢様のお帰りをお待ちしております!

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  • 明治時代のメイドカフェ

    投稿日 :
    2018-07-16 15:39:17
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    スタッフ

    学校や仕事で疲れた時や、ちょっとリフレッシュしたいなという時などに、かわいいメイドさんたちに癒されにきませんか。 京都木屋町のメイドカフェで、メイドさんとの非日常の時間をお楽しみください♪   さてさて、メイドカフェというのは、サブカルチャーと共に今の時代に突然出現した存在かというとそういうわけではなく、その元祖といえるものが明治時代末期にあったようです。   明治時

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    学校や仕事で疲れた時や、ちょっとリフレッシュしたいなという時などに、かわいいメイドさんたちに癒されにきませんか。

    京都木屋町のメイドカフェで、メイドさんとの非日常の時間をお楽しみください♪

     

    さてさて、メイドカフェというのは、サブカルチャーと共に今の時代に突然出現した存在かというとそういうわけではなく、その元祖といえるものが明治時代末期にあったようです。

     

    明治時代、文明開化の音とともにカフェ文化は急速に拡がりました。

    明治末期の1911年(明治44年)洋食流入の本格化に伴い、続々とカフェが誕生していきます。

    コーヒーを楽しむお店というよりは、開国後、流入してきた西洋文化を模倣する中で、ヨーロッパ風の社交場の役割を持ったものでした。

     

    代表的なものを挙げると、1911年3月、多くの文化人の集いの場として愛された会員制カフェ「カフェー・プランタン」、同じ年の8月、和服にエプロン姿の女給の接客が印象的な「カフェー・ライオン」、そして12月、一説では「銀ブラ」の語源ともいわれる庶民向けチェーン店「カフェー・パウリスタ」、と「カフェー」を冠するお店が東京・銀座に相次いで開店しました。

     

    それぞれに特色があり、人気を博しました。

     

    「カフェー・ライオン」は銀座尾張町交差点角に上野精養軒が開設しました。

    規模が大きく、一般客も入りやすかったようです。

    3階建で新築され、1階が酒場、2階が余興場でした。

     

    カフェといいながらも、洋酒や洋食をメニューの中心とした形態のお店で、銀座を代表するカフェーといわれました。

     

    特に、美人女給が和装の制服にエプロンを着用する、というスタイルで給仕をすることが人気となっていました。

     

    このカフェー・ライオンは、現在の和風メイドカフェに通じるものがあり、日本初のメイドカフェとなったという見方があります。

     

    カフェー・ライオンはその後、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後はバラックの平屋建で営業を再開し、後に本建築に建て替えました。

    翌年の1924年、斜向かいにカフェー・タイガーが開業し、目立つ女給が引き抜かれたりして、次第に勢いを失っていきました。

    1931年(昭和6年)6月、大日本麦酒に経営が移り、8月にはライオンヱビスビヤホールとして開店しました。

    現在の銀座ライオンGINZA PLACE店となっています。

     

    京都には落ち着いた雰囲気の純喫茶もたくさんありますし、萌えの世界を体験できるポップなメイドカフェもあります。

    お出かけの途中のちょっとした休憩にも、暑い夏は涼みに、寒い冬はほっこり温まりにきてください。

    かわいいメイドさんたちに癒されること間違いなしです。

    ご主人様、お嬢様のお帰りをお待ちしております!

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